作品として組写真を作るまでの軌跡。

今回は、ぼくが組写真を作ろうともがいてきた軌跡です。

特に4月からの数ヶ月、組写真を作ろうともがいてきました。色々と迷い、試行錯誤しながらやってきた数ヶ月、ところどころで思ったことをつぶやいていたので、あとで自分で見返すためにもまとめなおしました。

ツイートを見てもわかるように、本当に迷いまくっています。

30枚の組写真を作るまでの軌跡

最近のものからどんどん過去に遡る形で見ていきます。

 

この「良い写真の基準が違う」という意識はすごく大切だと思います。単写真で評価されても組で使ったらものすごいダメ出しされることなんてザラにあるでしょう。講評してくれる人がどういう立場で話をしているのか聞き分ける能力も重要です。

 

特に組写真の場合、ある種の物語を作るってことなんだと感じました。ストーリーというか。その点、美しい写真を撮るだけではなく、小説家的なストーリーを考える能力も重要なんでしょう。このストーリーを考える上で避けられないのがテーマ。自分が何を撮りたいのか、なぜ撮りたいのか、といったことはいくら考えても考えすぎということはないくらい重要だと考えるようになりました。

 

写真という媒体の特徴は、記録性にあると思っています。写真は過ぎゆく時間を止めて記録することができます。ぼくは作品を作っていく中で「自分の作品は何を記録し、残しておきたいんだろう?」と考えながらセレクトしていました。本当は撮る段階からちゃんと考えないといけないんだろうけど。

 

写真を他人に見せるって気恥ずかしい。でも見せることによって自分では気づかなかったことを指摘してもらえることもあります。展示を目指すにしても本を目指すにしても、自分の価値観を他人に差し出してみることに他ならないと思っています。そうすると、事前に「他者にはどう映っているのか」を把握することはすごく意味があることだと思います。リハーサルの意味もあるでしょう。

しかも、これって意外とやられていないのでは?と感じます。少なくとも自分の周りでは「他人に見せる」ということがあまりやられていませんでした。まあ厳しいことを言われたら辛いのは分かりますけどね。

 

「記録生」に繋がる話。象徴的なもの・派手なものは誰もが撮っています。他の人に目が向けられていないもので、かつ記録することに意義を感じられるもの。そんなものを撮っていきたいです。

 

ニコンのポートフォリオレビューで聞いた話。撮影を頑張るのはみんなやっているけど、セレクトをどこまで頑張ってやれているか。常に自分自身に言い聞かせたいです。

 

「記録としての意味」であれ「芸術としての価値」であれ、他人と同じことをやっていても仕方がありません。誰よりも技術的に優れたものを撮影できるというのであれば話は違うかもしれませんが。

他人の作品を見るのは、単に参考にしたいからというだけでなく、自分のオリジナリティを出す上で不可欠でしょう。

 

芸術の世界の難しいところです。最終的には自分自身でセレクトしていく必要がありますが、他人がどういった写真を好むのかは非常に参考になります。

 

テクニカルな話ですね。本当に便利です。フォトショップを持っている人であれば作れますので、やってみたら良いと思います。パソコンの画面上でセレクトするよりも写真の手触りを感じます。

 

これは旅行写真から脱皮するにはどうすれば良いのだろう?とか考えている時に思っていたこと。できる限り深く深く掘り下げていくことが大切。どうせ作品の紹介文を書く時にぶち当たる壁です。

 

作家と呼ばれる人の作品と雑誌の写真を見比べたら一目瞭然ですね。どちらにもそれぞれの価値がありますから、自分はどちらをやりたいのか、どちらをやっているのか理解しておく必要がありそうです。

 

自分が写真を撮る意味。これを考えるところから組写真づくりが始まりました。自分の楽しみとして作りたいだけであれば深く考える必要はないかもしれませんが、作品として仕上げていくのであれば必要です。

今回、30枚で作品を作ろうともがいたわけですが、こういうのってきちんと記録しておかないとすぐに忘れちゃうんですよね。写真をやっていると撮影ノートをつけている人もいますが、これと同じくセレクトの段階でも記録することが重要なのではないかと思います。今回の反省を次に生かして、確実にステップアップできるようにしたいものです。

雨のち晴れ、きっと明日は晴れるよね!

 

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